2015年07月13日

(ドラマ版デスノ)なぜ月は三流大学で、ミサは地下アイドルなのか

 
今日のなぞなぞ
「ドラマ版デスノート。なぜ月(ライト)は三流大学に通い、ミサは地下アイドルなのか?」



DEATH NOTE(デスノート)ファンのあなたへ。こんばんは。
ドラマ、観てますか〜?


7月から、名作漫画『DEATH NOTE』の実写ドラマがはじまりました。

今日は、ドラマ版デスノートを観ながら、
「いまの時代の空気感」について一緒に考えてみましょというお話です。

ドラマをチェックしていない方も、原作を知らないあなたでも
(おそらく)とまどいなく読める記事になっておりますので、「時代の空気」を感じてみたいあなた、
ぜひおつきあいください♪


(もくじ)
・この月はすぐに捕まりそう
・やたらと「庶民的」なドラマ版
・ゼロ年代とテン年代
・ファッション誌「VERY」の方向転換
・この月は死なない? 〜消極的選択としての「連帯」〜




 この月はすぐに捕まりそう

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「DEATH NOTE」はゼロ年代(2000年代)に週刊少年ジャンプに連載されていたサスペンス漫画。
アニメ化・映画化・舞台化され、
2015年7月からは日本テレビで実写ドラマが放送開始となりました。
私のいちばん好きな漫画です♪


名前を書くだけで人を殺せる「死のノート」を拾ってしまった夜神月(やがみらいと)
彼はよりよい世界をつくるため、犯罪者や悪人を”裁いて”ゆく。

どこかに悪人を裁く神がいる。
正義の神の存在を世間が「キラ」と名指しはじめたころ、
謎の名探偵L(エル)が日本警察に接触し……。

捕まえてみろ! 殺してみろ!
月とLの頭脳戦、心理戦が緊張感をともなって展開
されてゆく。


「デスノ」はそんな物語です。
本格サスペンスであり、本格ミステリでもある。
めちゃめちゃオススメ
な漫画なのですが、

原作を読んだひとはみんな、そこに
「天才同士のハイレベルな戦い」を読みこんで興奮したはず。
高度な推理、裏の裏までを読みあう生死を賭けたゲーム……。


ところが。
ドラマ版の月は、なんだか頼りない。

「この月はすぐに捕まっちゃいそうだな〜」というのが初回を観た私の感想でした。
なにも個人的な印象で言っているわけではなくて。
ドラマ版「デスノート」は、あきらかに意図的に、月のグレードを落としています。


 やたらと「庶民的」なドラマ版


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原作の月は裕福な家庭のおぼっちゃん。
成績優秀スポーツ万能で、たいして勉強しなくても最難関国立大学にトップ合格できる頭脳の持ち主でした。

一方、ドラマ版の月はというと。

「杉並経済大学」に通う、ふつうの大学生です。
これは架空の大学ですが、一流大学をほうふつとさせる学校名でもないし、
月の学力レベルもそんなに高そうじゃない。

じっさい、ドラマ版の月はデスノートの「how to use(使い方)」の英文を読むときに
辞書をひいています。

原作の月なら、辞書なんてひかなくても英語くらい読める。
でも、ドラマ版月は、英単語がわからない。



ドラマ版月には原作にはない「アイドルオタク」という設定もくわえられています。
月は「イチゴBERRY」というグループの弥海砂(あまねみさ・ミサミサ)のファンです。

原作では、ミサは同世代から圧倒的な支持を得るファッションリーダーでした。
売れはじめたばかりだけど、いずれCMの女王となりハリウッドにも進出する。

ところがドラマ版、「イチゴBERRY」のミサは、
どうも地下アイドル(※)っぽい。

※ マスメディアではなく、イベントやライブを中心に活動するインディーズアイドル。

ドラマ版ミサが歌うステージは、お客さんが100人もいなさそうな
ちいさな劇場、ライブハウスです。


原作の月はなんでもできて容姿端麗で、当然モテるのだけど、
ときには女の子の恋心でさえLとのかけひきに利用してしまう、冷酷な性格でした。

でもドラマ版月は、
インディーズ(?)アイドルのとりまきのひとり。



ちなみに、原作でもドラマでも月のお父さんの職業は、警察官。
改変はないのですが、演じるのは松重豊さん。
……どうしても「孤独のグルメ」を想いだしてしまう(笑)。


Lも天才探偵であることには変わりはないのですが。
日本のお笑いを愛好していたりして、なんだか庶民的。

原作のLなら、たとえお笑い好きだとしても、
何台ものモニターをずらーっと並べて、捜査会議とネタ番組とを同時に眺めそうなのですが。

ドラマ版のLは、会議の映像とお笑い番組とを
「画面を切り替えて」観ています。
情報を並列処理できないL。




 ゼロ年代とテン年代




まあ、「孤独のグルメ」は冗談としても、
ドラマ版はあきらかに意図的に、登場キャラクターのグレードを落としている。
これは、なんなんだろう……と考えてみると、ひとつの仮説が浮かびあがります。


漫画「デスノート」が上梓されたのはゼロ年代(2000年代)。
ドラマ「デスノート」の放映はテン年代(2010年代)。


すでに時代の空気が変わっているので、
原作の設定をそのまま使うことに、制作陣が耐えられなかったのではないか。




いえ、制作サイドがどう考えているかはどうでもよくて。
ドラマ版デスノは時代を反映していると読めるよね……といったテクスト論(※)、カルスタ(カルチュラルスタディ)(※)的なお話です。

※ 作品を作者の意図を離れた自律的なものとして扱う態度。
※ 社会との連関のなかで文化を分析する方法。



ゼロ年代を語るうえで避けて通れない本が↑の
『ゼロ年代の想像力』

以前の記事(碇シンジは夜神月を止められない――宇野常寛『ゼロ年代の想像力』)で紹介した名著です。

本書はゼロ年代の想像力の空気を


サヴァイブ系、決断主義、バトルロワイヤル


という言葉で表現しています。
ざっくりと言うと……。



じぶんの信じる道を歩むため、絶えず行動する
じぶんが勝つために、絶えずまわりと戦い続ける。
対立する者や、じぶんの思想になびかない大衆も動員し、じぶんの正義を貫く。



……そんな感じ。


まさに漫画版の夜神月の行動様式そのまんま。

ゼロ年代ならこれでよかった。
でも、テン年代半ばにさしかかった今。

<決断し、戦い続ける強い私>は、メディアに乗せるには耐えられない”想像力”になってしまっているのではないか。


もちろん、原作が素晴らしすぎるので、忠実にドラマ化しても
面白い作品にはなると思います。

でも、それだと
”今のリアル”とはかけ離れてしまうのではないか。



「勝ち組・負け組」という言葉が登場してひさしい昨今。
みんなが勝ち組になれるわけではないことは、もう自明となってしまった。

さらに。
いわゆる「勝ち組」になれたとしても、
それが「幸せ」と直接結びつくわけではないことが、露呈してしまっている。

あらゆるメディアが、この時代の不条理さに言及しています。



心理カウンセラーは、
「がんばっても報われないあなた」がたくさんいることを示し……




お笑い芸人は、
叶わない夢を描き……




以前の記事(常見陽平『「意識高い系」という病』を読んで”つながりの社会性”について考える。)で紹介したように、

自己啓発にのめりこんで努力と成長を重ねるビジネスパーソンや学生は、
「意識高い系」とカテゴライズされ……




以前の記事(マツコ・デラックスの文章がおいしくて、中村うさぎの自分探しが身につまされる1冊〜吾妻ひでお・菜摘ひかるについて)でお話したとおり、

エッセイストは、
果てのない自分探しがけっして<私>を満たしてくれないことを綴る……。





ミサの寿命が近づいていることを知ったとき、
ドラマ版の月はつぶやきます。

なんでうまく行かないんだよ……、と。


 ファッション誌「VERY」の方向転換



……なんだかちょっと暗いテーマになってきちゃってますが^^;
ここで、雑誌「VERY」の話をしたいと思います。
いきなりだな、おい(笑)。


えっと。
「VERY」はファッション雑誌。
ターゲットは、30〜40代の(既婚)女性かな。
スタイリッシュなママを志向する、すこしリッチな子育て世代。

この「VERY」が今年で創刊20周年を迎えました。
アニバーサリーを迎えるにあたって、編集部から読者へのメッセージが掲載されていました。
これがちょっと衝撃的だった。


ざっくりと意訳すると……。



「VERY」は、ファッションもメイクもキラキラ輝いて
スタイリッシュなモデルさんやライフスタイルがたくさん載っている。

これを”重たい”と感じる読者もいるかもしれません。

そんなにいつもキラキラできるわけじゃない。
私、そんなに頑張れない、って。


でも、それでいいんだよ。
いつもじゃなくたって、日常のなかでふとした瞬間に
オシャレを楽しんで、新鮮な気持ちになれれば、それって素敵なことだよね。


……みたいな。
引用ではなく意訳です!
(※ 詳しく知りたい方は↓2015年7月号の巻頭「20年目のVERYを手にしてくれたあなたへ。」というページをご参照ください)




「VERY」でさえ、みずからが提案してきたスタイルに無理があることに言及せざるを得ないんですね。
キラキラを強要していることに無自覚なフリはできなくなってる。

最近の「VERY」は、
「そんなに力まなくてへいきだよ」と先回りして、「頑張らないスタイル」に舵を切っています。
ユニクロとかZARAとか、いっぱい載ってます。


「頑張る<私>」には共感できない。そんな時代。


 この月は死なない? 〜消極的選択としての「連帯」〜


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むくわれなくて当然。そんな社会を反映するように、
月は難関校に合格することはできなかったし、
ミサもトップアイドルにはなれていない。


決断し生き残る私=頑張って戦う私、がリアリティを持たなくなりつつある空気感のなか。
やけに庶民的なドラマ版「デスノート」が描こうとしているのは、何か?


※ ここから先は、原作を読んでいない方にはネタバレになってしまうので、ご注意ください ※



大胆に予想してしまうと。
私は「ドラマ版の月は死なない」んじゃないかと思っています。

原作では月はLの後継者に追いつめられ、
死を迎えることになります。



この記事を書いているのは、第2話放送直後ですが、
ドラマ版の月は、はやくもLにシッポをつかまれています。

「お前がキラだろう」とほぼ断定されている。


おそらく今後は
2冊目のノートを得たミサの活躍で、捜査を攪乱していく展開になると思う。


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ドラマ版の月は、あまりにも頼りない。
Lとの頭脳バトルにひとりで立ちむかえるとはぜんぜん思えない設定です。


だからこそ、他のデスノートの所有者とのチームプレイで戦っていく形になるしかないだろうな、と。


そこで描かれるのは、原作のような「サヴァイブ」ではなく
「連帯」
です。



それはけっして、
漫画「ONE PIECE(ワンピース)」のような、立ち向かうための「仲間」ではなく。

消極的な選択として、
というより選択肢のないなかで、不可避の立ち居ふるまいとしての「連帯」。

どんなカタチだっていい。でも、
キミとつながってないと生きていけないょ……ってヤツです。





ラストには、月はデスノートを失う。
でも、生き続けていて。
「世界は変わらなかった」ことを確認する。

変わらない日常が戻ってきて、
「半径10メートルの範囲にあるかけがえのないもの」に手を伸ばして終わる、みたいな。
それこそ、友達とまた一緒にミサのライブに通う……みたいな。


「死のノート」を使ってしまった殺人鬼である月に、
希望を与えるエンディングでいいのか、という賛否両論はありそうだけど。



以上、ぜんぶ個人的な予想です。
以前の記事(未来は予測なんてできないし、売れてる本が良い本とはかぎらない)でお話したとおり、
予測は当たらないのがデフォルト(>_<)。




スクールカースト的な、生き残りの場としてのつながりではなく、
「絆」のような強い言葉でポジティブに盛りあがる関係性でもなく、
ありのままを包摂していく、サヴァイブしないカタチでの「連帯」。


……これが、時代の肌感覚になっていくんじゃないかな。


まとめると、そんな感じ。



ちなみに。

メロの顔が出ていなくて、声と人形で表現されているあたり、
ニア・メロ(Lの後継者たち)はドラマ版だと二重人格っぽいですよね。

とまたひとつ勝手な予測をしてみたところで……




ノーリスク・ハイリターンの投資は"読書"♪


あきか(@akika_a


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posted by akika at 20:18| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム・レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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